視座の違い
Aさん:「営業の佐藤さん、申請書の『様』が抜けていたので、突き返しておきました。あと、日付のハンコが少し薄かったので、これも押し直しですね。ルールは守ってもらわないと。」
Bさん:「えっ、それくらいこっちで直して処理してあげなよ。佐藤さん、今大きな商談抱えてて忙しい時期でしょ? 彼が1分でも長く営業の時間を使えるようにサポートするのが、私たちの仕事じゃない?」
Aさん: 「いやいや、Bさん、甘やかしたらダメですよ!『ミスをしたら自分で書き直す』っていうのが決まりです。これを見逃したら、佐藤さんのためにもなりません。社会人としての基本じゃないですか。」
Bさん: 「あのね、ここは学校じゃないんだよ…。私たちは彼の担任の先生じゃないんだから。 私たちの目的は『綺麗な書類を作らせて生徒を更生させること』じゃなくて、『会社が利益を出すこと』でしょ? 今、一番稼いでるエース営業の足を引っ張ってどうするの。」
Aさん: 「足を引っ張るだなんて心外です。私は彼が恥をかかないように指導してるんです。もしこれが社外への請求書だったらどうするんですか?」
Bさん: 「それは『社内』の申請書だよね? 外に出るものなら厳しくチェックすべきだけど、身内の書類にそこまでの完成度を求めて、彼の時給数千円分の時間を奪うことの損失を考えた方が良くない?」
Aさん: 「でも、特別扱いは不公平です! 他の社員はみんなちゃんとやってるのに、佐藤さんだけこっちで直すなんてことしたら、他の人になんて説明するんですか?『みんな平等』に扱わないと、組織の規律が乱れます。」
Bさん: 「Aさん、『公平』と『平等』は違うと思うよ。 全員に同じ作業をさせることが平等かもしれないけど、会社にとっての公平は『適材適所』だから。 F1のレースみたいなもので、ドライバーに『タイヤ交換も自分でやれ、それが平等だ』なんて言うピットクルーがいないでしょ。 ドライバーには1秒でも速く走らせて、整備はプロがやる。それがチームで勝つってことじゃない」
Aさん: 「……F1の話なんてしてません。ここは会社です。 誰であっても、決まったフォーマット通りに出せないなら受理しない。それが私の仕事における『正義』ですから。」
Bさん: 「(あぁ、これは言っても伝わらないな…) なるほどAさんの言うことは理解できる。ただ、正義なのはわかるけど、会社の売上が落ちたら、私たちの給料にも響くからね 『正しさ』より『勝ち負け』で考えてみてほしいと私は考えるけど、どう思う?」
Aさん: 「(なんで私が怒られるの? 私はルールブック通りに仕事してるだけなのに…。Bさんはルーズすぎる!) はぁ、でも規定ですから。佐藤さんには戻させてもらいます。」
音声で聞きたい方は以下をクリック
https://stand.fm/episodes/697dc320a069c27473f8a194
「視座」が違うと、同じ現象を見ていても、認知に違いが生まれます。
AさんとBさんの会話が噛み合わない最大の理由。それは、二人が立っている場所(視座)の高さが全く異なるからです。
有名な「3人のレンガ職人」の寓話をご存知でしょうか?
「何をしているのですか?」と問われた職人たちの答えです。
1. 「レンガを積んでいる(壁を作っている)」
2. 「教会を作っている」
3. 「多くの人が救われる、神に愛される街を作っている」
今回の会話で言うと、
Aさんは、1番目の職人です。
「書類のミスをなくす」「ルールを守らせる」という、目の前の「作業(レンガ積み)」に焦点が当たっています。だから、自分の役割を「ミスの指摘役(先生)」だと認識しています。
Bさんは、3番目の職人です。
「利益を生む」「会社を勝たせる」という、その先にある「目的(街づくり)」を見ています。だから、自分の役割を「勝たせるための参謀」だと認識しています。
どちらも「仕事をしている」ことには変わりありません。しかし、見ている景色がこれだけ違えば、話が通じないのは当然です。
ここで最も根深いのが、二人の「正義」の違いです。
Aさんの言葉の端々から感じるのは、「平等=全員が同じ苦労をすべき」という価値観です。
「私がこれだけ細かくチェックしているのだから、あなたも同じくらい苦労して完璧な書類を作るべきだ」。これは、全員に同じ宿題・同じ掃除を課す正義です。
一方、Bさんの正義は「公平=役割分担による最適化」です。
これはF1のピットクルーのようなものです。タイヤ交換のプロは、ドライバーに「お前もタイヤ交換の苦労を知れ」とは言いません。ドライバーが最速で走れるよう、泥臭い作業を完璧にこなして送り出す。それがプロの「分業の正義」です。
Aさんは、BさんのF1カー(利益を生む活動)を止めてまで、「タイヤの交換方法がなってない!」と説教をしている状態なのです。
ここで厄介なのは、Aさんが悪意を持っているわけではないという点です。
むしろAさんは「彼のためを思って指導している」と信じています。「自分が正しい」と信じている時の人間のエネルギーは強大です。
同じ方向(目的)を向いている仲間なら、そのエネルギーはベクトルを加速させます。
しかし、視座や目的がズレている場合、そのエネルギーは真正面から衝突し、お互いを消耗させます。
「社外の書類ならわかるけど、社内だろ?」というBさんの指摘は、「目的(利益)」を見失い「形式(レンガ積み)」に囚われているAさんへの本質的な問いかけです。
しかし、正義の鎧を着ているAさんに、この言葉が届くにはまだ時間がかかるでしょう。
もし相手が子供であれば、私たちはゆっくりと諭して、視座を高めるように務めるでしょう。「レンガを見るんじゃなくて、どんなお家ができるか想像してごらん?」と。
しかし、職場にいるのは、それぞれの正義とプライドを持った大人たちです。
だからこそ、まずは私たち自身が問いかける必要があります。
「私は今、レンガを積んでいるのか? それとも、街を作っているのか?」
Aさんの気持ちも痛いほどわかります。真面目に日本社会を生きてきたからこそでしょう。でも、もしあなたが「仕事で成果を出したい」「チームを勝たせたい」と願うなら、Bさんの視座を持つことが、不毛な衝突を避ける唯一の道なのかもしれません。
Bさんタイプの人がこのような出来事に出会うと「言語化できなかったモヤモヤ」を生み出すことがあります。
そんなときは、紙に書き出したり、視座の近い同僚や友人に聞いてもらって言語化してみてください。
視座がピッタリ合う人は稀であることを意識して、世の中の事象を眺められるようになりたいと私も常々感じています。今回の会話が皆様のお役に立てると幸いです
