言葉

M
今回のテーマは、『言葉』について対話していきます。Fさんは言葉を扱う職業なので、言葉を使うことで、良くもなり、悪くもなる諸刃の剣のような性質もあると考えますが、まずは言葉についてどのように考えているのかを教えてください。

F
カウンセリングでの言葉のやりとりと、日常での言葉のやりとりはちがうものです。ここでは日常場面について考えてみたいと思います。
子育てでも同僚との会話でも、言葉の責任を見つめ直すことが年々増えています。例えば、子どもも大きくなってきてお母さんは前にこう言っていたよね、とよく言われます。仕事でも、Fさんがこのような意見でしたと、引用されることが少なくありません。よくも悪くも言葉の影響ということを考えています。話し出す時に一呼吸おいて、誠実に丁寧に話せるようになりたいと思っていますが難しいですね。Mさんはどのように考えていますか?

M
おっしゃる通り、言葉の影響力は本当に大きいですね。最近は、冗談のつもりで発した言葉が後々予期せぬ事態を招くこともあるため、以前にも増して慎重になっている自分がいます。ただ、その警戒心からコミュニケーションの量自体が減ってしまうと、今度は人間関係の構築が難しくなるというジレンマを感じています。

個人的には、雑談は非常に高度なコミュニケーションであり、大切にすべきものだと考えています。何気ないやり取りの中にその人の人柄や価値観が垣間見えるため、相手に合わせて言葉を選び、適切に意思疎通を図ることは、とてもクリエイティブな営みだと感じます。

一方で、家族との会話ではつい気が緩み、何気ない一言を無防備に発してしまいがちです。相手との関係性の深さによってコミュニケーションの質や量が変わるのは当然ですが、親しい間柄であっても日頃から気を配りたいものです。

「沈黙は金」「言わぬが花」といった言葉もありますが、それも時と場合によりますね。
Fさんは、言葉が与える影響や日々のコミュニケーションについて、どのようにお考えですか?

F
とても共感します。言葉の影響を考えると話しにくくなりますし、気軽な雑談もとても大切ですよね。
私は個人的に、言葉より前に感覚的な理解があって、それを言葉にするという順番が多いんですね。なので、元々はしゃべらないタイプの人とのコミュニケーションが楽だったんです。1時間、2時間相手が黙っていても、相槌を打ちながら聞いたり、自分は自由に話したりしています。
言葉にするのって、意味を与えてそれ以外を切り捨てる行為でもありますよね。例えば、あの人は論理的だよねと言ったとします。そうすると、実は感受性が豊かだという印象は捨てられていますよね。私はいつも、その言葉にはならなかったほうがどちらかといえば気になってしまうんです。

日常の言語的コミュニケーションの中では、発する言葉と様子が不一致なようにみえることが多くてそれも一瞬思考が止まってしまいます。自分ももちろんそのようなときはあって、そういうときは心の中でやり直すようにしています。「本当はこう言いたかった」って。

M
コミュニケーションにおいて、言葉は多ければ良いというものではありません。まさに今日、熱意ゆえに言葉を重ねすぎてしまい、かえって相手に真意が伝わらなかったかもしれないと反省する出来事がありました。具体と抽象が入り乱れた説明は、相手の理解を妨げてしまうことがあります。

これに関連して、Fさんが言葉にする前に、すでに自分の中で感覚的な方向性を定めている点には、常に学ぶべきものがあると感じています。

言葉とは、具体と抽象を行き来するためのツールであり、相手と自分の波長が合った時に初めて本来の力を発揮します。そのため、私が対話において最も意識しているのは「相手の理解度に自分の言語のチャンネルを合わせる」ことです。これは相手を見下すことではなく、相手の言語世界に自らチューニングを合わせるという、対話における重要な技術だと考えています。本当に言葉って難しいですよね。表と裏があって、全て裏でとってくる相手もいるので日々学ぶことが多いです。

F
大変感動しています。母語のちがいやバイリンガルにおける思考プロセスは少し勉強しましたが、同じ言葉で近い価値観で話していても、これほどまでに言葉になるまでのプロセスは人それぞれなのですね。仕事や生活スタイルによる言葉の使い方のちがいもありそうです。
ちょっとまだ理解が追いついていないのですが、具体と抽象を行き来するためのツールというのは先に考えを分類してから話しているということですか?
先の例で言えば、相手の反応にもよりますが、熱意という言葉の温度が伝わったとすればそれこそが大切なことだと私なら考えます。言葉の正しさ以上に、心が伝わることを重視しているためです。上司からの話って、自分が経験してみて初めてあれはこういうことだったのか、と理解できることもよくありますよね。
表と裏については、やはり関係性や文脈が影響しませんか?全く同じ内容であっても、誰がどのような文脈や声のトーンで発した言葉かということが、意味よりも優位になることはよくあるように思っています。
M
熱意が伝わっていることを祈っています<笑>
Fさんからの質問に答えますね。
私が考える「抽象と具体の行き来」と、「考えを分類してから話すこと」の関連について、先にお伝えさせてください。
思考の構造は、ピラミッドに例えることができます。一番上の頂点が「抽象度が高いこと」、地面に接している底辺の広がりが「具体的なこと」です。
人によって、ピラミッドのどの深さまで具体的にすれば伝わるかは異なります。そのため、相手に合わせて「どの階層の言葉を使うか」を選ぶこと自体が、自分の考えを分類・整理して話していることと同じだと考えています。

この話が抽象度高いので、少し実際の会話で示すと
7歳の子供に「優しい人になって欲しい」と伝えるとします。
優しい人とは抽象度が高いので、具体に近づけて行きます。

1>優しい人っていうのはね、周りの人が今どんな気持ちかな?って想像できる人のことだよ。誰かが困っていないかな?って気づけることが大切なんだ。

2>もし、お友達が困っていたり、大変そうにしていたら、『どうしたの?』って声をかけたり、助けてあげたりできるといいね。

3>例えばね、授業中にお隣のお友達が鉛筆を落としちゃったとするよね。そしたら、サッと拾って『どうぞ』って渡してあげる。これができるのが、本当に優しい人なんだよ。

1から3の中の、どれを伝えると効果的かは、子供の理解度によって違いがありますよね。これを探って伝えるのが具体と抽象の行き来と言う意味です。

また、表と裏については、その通りで関係性と文脈の影響が大きいです。ただ、最近経験で学んだことなのですが、思考回路が全てネガティブになっている人も一定数いるのだなということです。そんな方との会話はどんな言葉も裏でとってくるので、無言になってしまいました。言葉って本当に難しいです。言葉の語源は諸説ありますが、事の端っこと言う意味があるようです。事柄の端っこを表現しているので誤解を招くのも当然かと思います。

F
わかりやすく、大変勉強になりました。相手の理解度をみながら、どのような言葉を使うかを選ぶこと自体が整理なのですね。ネガティブな認知の方には、いくら言葉を尽くしても届かないこともありますね。まさに、『言葉は相手と自分の波長が合った時に初めて本来の力を発揮する』ということだと思いました。

日常の中での『言葉』がどのように生まれ、なにを大切に伝えていきたいかを考えるきっかけになりました。みなさんの参考になることがありましたら幸いです。