FとMのダイアローグ21
M
今回のテーマは、『自由』について対話していきます。
私は自由が欲しいような、そんなにはいらないような。難しい概念だと思っています。Fさんがどのように考えているのか、まずは自由<笑>に表現してみてください。表現の自由は必要ですね。
F
自由がいるようないらないような、という感覚も面白いですね。個人的な価値観として、感性と思考の自由を最も大切にしています。行動はもちろん制限が必要だと思いますが、これからは表現の自由も大切にしていきたいです。
集中を求められるとき以外は、自由に思考したり感じたりしたいです。例えば、駅って大勢の人で混雑しますよね。歩いているといつもここにいるみんなで踊れたらいいのにって思うんです。これは理由がありまして、スペイン人は老若男女フラメンコを踊れるから駅の人混みでもスマートに人を避けられてぶつからないと聞いて感銘を受けたことがきっかけです。
こんなにたくさんの人が偶然の一時で集まっているんだから何だか険しい顔で慌ただしく歩くだけは勿体無いなとか、日本人も盆踊り文化が街にも続いていたらぶつからないのかなという考えも浮かびます。
飛び込んで死んじゃおうか躊躇っている人がいたらちょっと気づいた人がステップを踏み始めて、電車が来るまでみんなで辛い気持ちで一緒に踊れたらとりあえずはその日も生きていられるんじゃないかと考えたりします。
そんなふうに空想しているとどうなるかわかりますか?人にぶつかります(笑)なので、駅ではちゃんと人波に乗って、早足で歩くよう気をつけています。Mさんの自由とは何ですか?
M
面白い考え方ですね<笑>。Fさんらしくて好感がもてます。
一般的に「自由」というと、何の制限もない「行動の自由」を思い浮かべるかもしれません。しかし、私自身は先に述べたように「自由は、いるようないらないようなもの」というのが正直な感覚です。というのも、私は自分が怠惰な人間であることをよくわかっているからです。もし完全に制限のない自由を与えられてしまったら、本当に人の役に立たないようなことばかりをしてしまいそうで、むしろある程度の制限がかかっていた方が助かると思っています。
誰かと約束をすることや、誰かのために生きること。そういった「足かせ」がないと、自分はうまく生きていけないのだということをつくづく感じています。ただ制限がないだけの行動の自由は、私には必要ありません。
自由という言葉は、よく「責任」とセットで示されます。「責任を伴った自由」であれば、それは私にとって良いものだと思えます。仕事はもちろんのこと、家族としての役割や、友人とのつながりといったもの。そういった他者との関係や役割のなかで生きていくことこそが、私が大切にしていきたい「自由」の形なのだと思います。
F
そうですね。制限があるからこそ、自由を感じられる。責任があるからこそ、自由に喜びを見出せる。そういう外側の輪郭があって意味をもち始めるものという側面も感じます。
自由な生き方を追及するあまり、墜落していくということもあると思います。ただ個人的には、そのような生き方も含めて個人意思の自由という考えにあります。もちろん、仕事上や家族・友人など役割における自分としてはその自由をただそのままにしておけるわけではありません。あくまで個人的な意見として、それほどまでに自由を欲求するくらい、世の中は不自由に溢れていると感じます。
意味や目的のない決まりや役割がたくさん並べられ、さらには疑問を述べても誰も説明できないのに押し付けられることがたくさん存在します。「前例踏襲」「同調圧力」は、不自由さを感じさせる代表的なものです。だいたいにおいて、これらを理由にしかできない説明者は、自分の頭や体を使って真に物事を考えてきていない印象を受けます。
おそらくいろいろな偶然が重なった結果、たまたまこのように複数の役割を果たすことになっただけなんですね。自由を感じられているからこそ、いくつものお仕事や役割を同時的に担うようになったともいえます。自由と責任のバランスをとることが、社会生活という文脈では大切なのでしょうが、個人的にはもっと自由な発想や感性に社会的価値が置かれてもいいのにと思います。
M
今の世の中を見渡すと、ますますルールや規則が厳格になり、街の至る所に監視カメラが設置されるなど、ある種の「監視社会」になっているように感じます。もちろん、これによって市民の安全が確保されるという明確なメリットがあることは間違いありません。
しかし一方で、「常に誰かに見られている」という意識は、私たちの内面から湧き上がる「自由な表現力」を少しずつ奪っているようにも感じます。
ここで少し根本的な問いに立ち返ってみたいです。「人はなぜ、人として生まれてきたのか」。
私は、人は誰しも「どこかに果たすべき役割を持って生まれてきている」という感覚を持っています。その役割は人それぞれ異なりますが、それを全うすることこそが、生きる意味そのものに繋がると思っています。
そう考えた時、社会の過剰なルールや規則、そして見えない「同調圧力」というものは、私たちが本来の役割を果たすための「足かせ」になってしまっているように思えてなりません。安全と引き換えに、自らの役割に向き合うための表現力を手放してしまっているのだとしたら、それは決して好ましい状態とは言えません。
では、本当の「自由」とは何でしょうか。
制約がないことや、好き勝手に振る舞うことだけが自由ではありませんよね。自由とは結局のところ、「それぞれの人間が生まれ持った役割を果たすこと」、それ自体を指すのではないかと思うのです。
「自分はこれをやっていきたい」と強く惹かれることや、成し遂げたいと思うことは、人によって全く違います。誰かに与えられた正解をなぞるのではなく、自分の心の内側から湧き上がり、自然と形になる行動。それこそが、本当の意味での「自由」なのかなと。
私たちは今、ルールの網目の中で「安全な枠」に収まることばかりに気を取られていないでしょうか。見えない足かせの存在に気づき、自分だけの役割に基づく「心からの行動(=自由)」を取り戻すこと。Fさんとの対話は、そんな大切なことに気づかせてくれました。
F
自由は、心の内側から湧き上がるものといえそうですね。ルールや安全な枠に収める行動ばかりしなくてもいい。周りの感じ方に合わせたり、正解とされる考え方をなぞったりしなくてもいい。さまざまな見方から、まさに自由にお話することができました。日常の中でこんなふうに、自由な自分を取り戻す時間をもてるといいですよね。ありがとうございました。
ダイアローグとは、単なる情報交換を超え、参加者同士が相手の意見や考えを深く理解し、共感を深めながら、新たな視点や行動の変化を生み出す「対話」を意味します。
組織では、相手と自分との間に「相互理解」と「共通の理解」を築くためのコミュニケーション手法として用いられ、信頼関係の構築や創造性の育成、組織力の向上に繋がります。
組織をマネジメントする立場にある人にとっては欠かせないスキルです。ただ、センスで乗り切っている人が多いと感じる印象もあるので、具体的な対話で学べるように表現してあります。
