人は楽をしたい生き物です
これは、当然で私たちは飢餓の時代を長く生きてきたので、本能としてエネルギーを温存しようとします
ジムに行って運動するなんて、本能に逆らう行為ですよね
と、前提の前振りをして、質問です
あなたは、いつから、いつまで働きたいですか?
「今すぐでも会社をやめたい」という声が聞こえてきそうですが、それは本能が正常に働いている証拠
一方、私は幼い頃から一生働き続けたいと思っていました
人の原理原則から外れているように感じますよね
何故だろうと考え、今回改めて言語化してみて気付いたのですが、それは私の働くの概念が「誰かを幸せにする行動」と考えていたからでした
詳しく説明するために、働くの定義を明確にします
「働く」という言葉の定義は、「仕事をする」「労働する」などを意味します
では、仕事や労働とは、単に賃金や報酬を得る仕事だけでなく、家事や育児など、広く「活動する」「機能する」の意としても使われることもあります
辞書的定義では、物理的・精神的な活動全般を指し、「精を出して仕事をする」「効果をあらわす・作用する」「他人のために奔走する」など幅広い意味を含みます
つまり、働くことは単なる収入のためだけでなく、社会貢献や自己成長、家族や周りの支えといった側面も含まれる訳です
現代社会の働くというイメージにある苦手な仕事を続けることや定年まで働き続けるという内容は、働くの一部しか示していないことになります
再度質問、あなたはいつまで働きますか?
それなら、一生かもと思った方もいらっしゃるのではないでしょうか
極端な話、生きることは働くことかもしれません
人が動くと書いて働くという字になりますよね
少し解釈がずれるかもしれませんが、私が経験の中で印象深い例をあげます
私は障がいのあるお子さんの支援に関わる相談業務に携わったことがあります
そのお子さんが学齢期のお母さんたちがよく使う言葉があります
私が先に死ぬことになるから、子どもには早く働けるようになって欲しい
気持ちはわかります、この時の働くの概念は明らかに賃金を稼ぐ労働をさしています
ただ、障がいのあるお子さんが成人したお母さんたちの言葉は変化します
子どもには健康で元気に過ごして欲しい
労働の価値が極めて低くなります
この変化の理由は、主に日本のセーフティネットが優秀であることについて経験として知識を得るからと解釈していますが
子どもが元気に毎日を過ごしてくれているだけで、働いていると言えるようになったのではないでしょうか
今回言語化して、改めて働くというイメージが辛く苦しいと、私は捉えていなかったので一生働きたいと考えていたようです
ライフステージで自分の体力、気力、生産力や興味が変化します
これからは働くスタイルを柔軟に変化させる時代がもうすぐやってきそうですよね
あなたにとって、働くという言葉のイメージが楽しみになると嬉しいです
どうせ働くなら楽しみたいですね
