より良く生きようとする証(あかし)

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私は生き方に迷いがあります。年齢を重ねると消えるのだと錯覚していましたが、ずっと迷っています。

迷いがあると、心がざわつき、早くこの霧の中から抜け出したいと焦るばかり。

けれど、ふと思うのです。

もし私の中に「より良く生きたい」という理想がなければ、こんなふうに悩むこともなかったのではないか、と。

ただ息をして、仕事を淡々とこなして日々をやり過ごすだけの「生きる」こと。

魂を磨き、本当の自分とは何かを日々考え、真善美を求める「よく生きる」こと。

この二つの間にある溝を埋めようとして、私は常にもがいています。

理想と現実の狭間(はざま)で揺れ動くこと。それは決して弱いからではなく、私が自分の人生を諦めていない何よりの証拠と考えると心が穏やかになります。

道元に関する書籍を読むと、悟りとは「迷いがなくなること」ではなく、「迷いながら歩き続ける姿そのもの」のように感じます。

理想に向かって手を伸ばし続けるその姿勢こそが、尊いのだと。

ただ、気をつけなければいけない「無駄」もありますよね。

それは、変えられない過去を悔やんだり、まだ来ぬ未来を恐れたりすること。

思考が「今」から離れてしまうと、私たちは理想と向き合う力を失ってしまいます。それは命の浪費になりそうです。

大切なのは、思考を「今」に繋ぎ止めておくこと。

わかっているけどこれが難しい。

瞑想は今に意識を向け、脳をよぎる未来や過去から生まれる不安を沈める訓練なんだなと理解できます。

理想という星を見上げながら、足元の一歩を疎(おろそ)かにしないこと。

自分を宇宙の一部として捉える大きな心で、自分の迷いすらも包み込んでみる。

私が今、理想と現実の間で葛藤していることすら、この広い宇宙の働きの一つなのかもしれません。

答えは外にあるのではなく、この葛藤の中にこそ埋まっています。

そうやって、理想と誠実に向き合い、今日できることを積み重ねたなら、あとはもう天に任せるしかなさそうです。

「結果自然也(けっかじねんなり)」

花が咲くかどうかを心配するのではなく、ただ種を蒔き、水をやる。

その行為に嘘がなければ、結果は自然という大きな流れが運んできてくれます。

だから、迷ってもいいんだと自分に言い聞かせる。

その迷いを抱きしめたまま、私は今日も「よく生きよう」と願い、今この瞬間を懸命に生きるように今に意識を戻す訓練を続けています。

「結果自然也(けっかじねんなり)」

あとは自然に任せます。