タブララサ
17世紀の哲学者ジョン・ロックは、人間の心は生まれた時は「タブララサ(白紙)」であると説きました。
私たちは皆、何色にも染まっていない、透明で純粋な存在としてこの世に産声を上げます。
しかし、その美しい白紙の期間は長くは続きません。
物心がついた瞬間から、親の期待、学校教育の枠組み、そして社会のルールという名の「インク」が、私たちの白紙に猛烈な勢いで文字を書き込んでいきます。
「空気を読みなさい」
「みんなのことを考えて、協調性を持ちなさい」
「これが社会における正解だから覚えなさいね」
それは、社会という巨大なシステムを円滑に回すため
特に教育の現場などでは、システムを維持するために、無意識のうちに子供たちを特定の枠に当てはめる「インクを注ぐ側」に立ってしまう恐ろしさがあります。
私たちはいつの間にか、社会が用意したシナリオ通りに生きることを強要され、それに適応するための分厚い「仮面(ペルソナ)」を被るようになるのです。
社会のルールに従って生きることは、一見すると安全です。
評価の基準に沿って「有能な大人」や「物分かりの良い人間」という仮面を被っていれば、波風は立ちません。
しかし、その適応の代償は静かに、そして確実に私たちの内側を蝕んでいきます。
最初は着脱可能だったはずの仮面が、いつしか皮膚とぴったりと同化し、剥がれなくなっていく。
自分が本当は何を感じ、何を求めていたのか、その素顔の輪郭さえも思い出せなくなってしまうのです。
そんな日常の中で、ふとした瞬間に原因不明の「違和感」や「息苦しさ」が顔を出すことはないでしょうか。
夜の静寂の中で一人になった時。あるいは、ただ道を歩き、自分の足音だけが響いている時。
「すべて上手くいっているはずなのに、なぜこんなに虚しいのか」「このままの人生で本当に良いのだろうか」
多くの人は、この違和感を「自分が社会に適合しきれていないせいだ」「私の努力が足りないからだ」と自己否定で片付け、さらに仮面を強く顔に押し当てて息を潜めてしまいます。
ここで、視点を大きく反転させてみましょう。
あなたを苦しめるその「違和感」は、決してシステムのバグやエラーではありません。それこそが、正常なシグナルなのです。
古代ギリシャの哲学者プラトンは、「イデア論」の中でこう語りました。
私たちの魂は、この世に生まれる前、完全で美しい真理の世界(イデア)にいた。
そして、現世で何か美しいものや正しいものを見た時、魂はそのイデアを「想起(アナムネーシス)」するのだ、と。
私たちの魂の奥底には、実は本来の美しい青写真が眠っています。また私達の遺伝子は過去の記憶をすべて知っているように感じます。
違和感とは、社会から書き込まれた「偽りのシナリオ」と、魂が記憶している「本来の青写真」が激しく衝突した時に生じる『摩擦熱』なのです。
それはつまり、より大きな流れ宙の意思が、「本来のあなたの軌道に戻りなさい」と魂に働きかけているサインのような気がします。
社会の洗脳によって麻痺していた魂が、イデアを思い出し、深い眠りから目を覚まそうとノックしている音。それが「違和感」の正体なのではないでしょうか。
では、私たちはその違和感とどう向き合えば良いのでしょうか。
それは、仮面を無理やり引き剥がして社会から離れることではありません。
昨今FIREという働かない生き方が注目されていますが、私は否定的に捉えています。せっかくの違和感を有効に使えていないからです。
まずは、自分の中に生まれたその小さな違和感を、「宇宙からの大切なメッセージ」として正面から受け止めることです。
「自分が感じているこのズレは、間違いではない」と肯定すること。
静かに歩く時間を持ち、外側のノイズを遮断し、自分の内なる声に耳を澄ませる空間を作ること。
その違和感を丁寧にマネジメントし、自分の魂が本来向かうべき道(イデア)と、現実社会のズレを冷静に認識できた時、仮面はもはやあなたを縛る呪縛ではなく、社会を生き抜くための「道具」へと変わります。
そして、一人の人間が自らの内なる違和感から目を逸らさず、誠実に生きようとするそのプロセス自体が、結果的に周囲の空気を変え、社会の理不尽な常識を少しずつアップデートしていく力に繋がっていきます。
私たちは、白紙を汚されただけの悲劇の主人公にならないように、自らの手で人生のシナリオを書き直していくことができると素敵だと思いませんか。
あなたの違和感が、良い方向へと向かいますように。
