遠くの「特別」より、すぐそばの「日常」
A:「あーあ、何か良いことないかなあ。毎日同じことの繰り返しで、特別なことなんて全然起きないよ。Bは最近良いことあった?」
B:「昨日、朝すっきり起きれて爽快だったんだよね」
A:「えっ、そんなこと?」
B:「朝、すごく天気が良くて気持ちよかったし、朝ごはんも美味しかった。それに、家族が元気にああでもないこうでもないって無駄話をしているのを聞いて、なんだか良いなあって思ったんだよね」
A:「なんだ、そんなのいつもの日常だよね。良いことって言ったらさ、もっとこう、ドカンと大きな『良いこと』でしょ!」
B:「そんな、ドカンと良いことってそんなに起きないんじゃない?」
A:「うーん、それはそうかもしれないけどさ。でも、それだと毎日が退屈じゃない?」
B:「そうかな。僕は結構、そういういつもの感じで『あー良かったな』って満足しちゃうんだよね」
A:「えー、なんか欲がないなあ。自分はどうしても、もっと分かりやすい特別なことばっかり探しちゃうな。そうして1日が終わっていくんだよね。」
このAさんのように、「もっと分かりやすい特別なこと」を探してしまう気持ち、皆さんも身に覚えがありませんか?
私たちは無意識のうちに、「良いこと=特別なこと」と連想してしまいがちです。昇進した、宝くじが当たった、欲しかったものを買った。そういった「ドカンと大きな出来事」だけを「良いこと」としてカウントしてしまうのです。
人間には、どうしても「心の望遠鏡」を覗き込んでしまうようなところがあります。遠くにある「大きな成功」や「理想の出来事」ばかりをズームして探してしまい、その結果、すぐ足元にあるはずの「日常の良さ」のピントがボケて見えなくなってしまっているのかもしれません。
もし「毎日、何も良いことがない」と感じているなら、一度「良いこと」に対するハードルを、思いきりグッと下げてみるのはどうでしょうか。
* 朝、すっきりと起きられたこと
* 窓から差し込む日差しが温かかったこと
* 淹れたてのコーヒーや、いつもの朝食が美味しかったこと
* 家族の元気な無駄話の声が聞けたこと
Bさんが感じていたような、こうした「当たり前の日常」を「良いこと」として認識してみるのです。
これは、環境を変えることではなく、「認知の問題(物事の捉え方)」です。特別なスキルは必要なく、視点を少し変えるだけなので、誰にでも、今日からすぐにできることです。
遠くの理想や特別な出来事ばかりを追い求めている状態は、裏を返せば「今の平凡な自分や日常には価値がない」と、現実を無意識に否定してしまっている状態とも言えます。
ハードルを下げて、身近な些細なことに喜びを見出すこと。それは決して「欲がない」とか「妥協している」ということではありません。
「今ある現実の自分と、自分の周りの世界を、そのまま肯定して受け入れる」という、とても豊かで健やかな心のあり方なのです。
遠くの目標を持つことも、決して悪いことではありません。Aさんの意識も大切なことは確かです。でも、たまにはその望遠鏡をそっと置いて、裸眼で自分の周りを見渡してみてはいかがでしょうか。
さて、改めてお聞きします。
あなたにとっての「昨日あった良いこと」は、何ですか?
それは決して、手が届かないような理想像の中にあるとは限りません。「今日もご飯が美味しいな」「家族が元気でなによりだな」。そんな風に、今ここにある現実にピントを合わせられたとき、何の変哲もないと思っていた今日という日が、実は「良いこと」に溢れた素晴らしい一日だったと気づけるのではないでしょうか。
「日常の中にある良さに気づけるから、目標に向かう力も推進される」
最近、私はそんなふうに感じています。
遠くの大きな目標(特別なこと)を目指して進むためには、足元がしっかりと安定している必要があります。日々の小さな「良いこと」に気づき、今の自分を肯定できる心の土台があってこそ、遠くの星を目指す望遠鏡をブレずに覗き続けることができるのです。
「特別な良いこと」を探して少し心が疲れてしまったときは、手帳や小さなノートの片隅に、今日の「些細な良いこと」を書き出してみてください。
当たり前だと思っていた日常を味わい直す穏やかな時間が、また明日へ向かって歩き出すための、確かな推進力に変わっていくはずです。
あなたの人生を応援しています。
