自分を「発酵」させる日常の余白
「どうしてこんなに納豆って美味しいんだろう」と、ふと感動することがあります。
時間をかけてじっくり発酵したからこその奥深さ。人間も食べ物と同じで、「発酵して美味しくなる」状態と、エゴにまみれて「ただ腐敗していく」状態があると思います。
周囲と馴染んで良い味を出して生きていきたい。そう考えるのは私だけではないでしょう。自分が「発酵するか、腐敗するか」の分かれ道は、常に日常の中にあるように感じます。
発酵させるには、しっかり睡眠をとり、日ごろからよく動いて自身の体を調整することが欠かせません。この「心身が整っている」状態こそが、自分を発酵させるための最適な温度管理なのだと最近つくづく感じています。
仕事の打ち合わせでの会話中、ふと「ここは自分の知識を話そうかな」「今の流れを自分が説明してしまおうかな」という衝動が頭をよぎりました。
しかし、そこでグッとこらえて、「周囲がどう思うかをじっくり聞いたほうがいい」と判断し、あえて沈黙を選ぶことが最近増えています。
老子の教えに「無用の用」という言葉があります。
お茶碗や部屋がそうであるように、中が空っぽ(無)であるからこそ、そこに物を入れることができ、役に立つという考え方です。
私が自分の知識でその場を満たしてしまえば、会話はそこで終わっていたでしょう。しかし、私が黙って「余白(無)」を作ったことで、異なる視点を持った人たちの意見が自然と流れ込んできました。
沈黙とは、単に「話さないこと」ではなく、内なる発酵を促すための時間です。自分のエゴを静め、他者の声や周囲の状況を一旦自分の中に取り込んで、じっくりと寝かせる。思いついたことをすぐに言葉にして吐き出してしまうのは、いわば発酵する前に蓋を開けてしまうようなものだったのかもしれません。
そして、こうした日々のささいな心の動きや気づきを、後からしっかりと振り返り、言語化することの大切さも改めて感じています。
ふとした瞬間に手帳を取り出し、手書きで思考の引っかかりを書き出してみる。それは単なる記録ではなく、自分の中に取り込んだ多様な意見や経験という「素材」をかき混ぜる大切な作業です。
頭の中だけで「今日はいい気づきがあった」と終わらせてしまうと、すぐに揮発して消えてしまいます。しかし、自らを振り返り、こうして手帳やブログに言葉として定着させることで、初めてそれは自分自身の「旨味(=ブレない軸や教訓)」として完成するのです。
研ぎ澄まされた注意力を持ち、「今は黙るべきだ」と判断できたのも、後からこうして振り返る余裕を持てたのも、間違いなく睡眠や運動といった「健康という土台」があったからです。
下手なことをして自分を腐らせないためには、まず心身を整えること。そして、沈黙という余白を作り、得たものをきちんと言語化して味わうこと。
これからも、発酵した味わい深い人間を目指して、日々の習慣と内省を大切にしていきたいと思います。
