手放す

M
今回は『手放す』をテーマに対話していきたいと思います。
『手放す』という言葉には、何かを失うような『喪失感』のイメージを持つ方もいるかと思います。ただ一方で、しがみついている良くないものを手放すといった、プラスのイメージもありますよね。 そう考えると、私たちは日々の状況に応じて『ここは手放すべきか、それとも手放さずにおくべきか』という判断を常に繰り返しているのかもしれません。 この『手放す』というキーワードについて、Fさんはどのようにお考えでしょうか?


F
私にとって、難しいテーマです。人生は手放す判断の繰り返しには同感です。自分の意志で手放すか、それとも意志に反して手放すことになるのかによって感じ方が異なるように思うんですね。前者は物事を前に進める力になり得ますが、後者はどうでしょう。やはり喪失の悲しみが伴いますし、諦めきれないと執着に繋がるように思います。
得るものがあれば失うものがある、とよく聞かされて育ちました。なので、何か一つ人生で手に入れたら一つは諦める。そうやって折り合いをつけるようにしてきました。でもそうしていても諦めきれなかったことがあって、自分は欲張りじゃないか、もはや執着なのではと葛藤が高い時期がずいぶんと長かったですね。
ほしいものを求め続けるとか、好きな人を諦めきれないとか、そのようなことも近いかもしれません。どうしても諦めない時期に、どのように時間を過ごすかが重要だと感じます。嫉んだり捻くれたりしないほうが気分よく過ごせます。心からほしいものであればそのためにお金を稼ぐ。ふりかえってほしいなら自分を磨く。そんなふうに自分の在り方を見つめ続けていたら、意に反して手放したものがまた違う、よい形で戻ってくる、ということが人生にはあると思います。

M
Fさんのお話、とても考えさせられます。フェーズによって答えが変わるので、正解を見つけるのは本当に難しいですね。
少し極論になってしまうかもしれませんが、お話を伺いながら『人は手放すために生きているのではないか』とすら思いました。予期せぬ喪失や深い悲しみも、人がそれを乗り越えるために設定されたハードルのようなものなんじゃないかと。
そして、最終的に『手放す』境地に達するには、まずは満たされるプロセスが必要で、そのための『執着』は人が生きる上で不可欠なエネルギーなんじゃないかと思うんです。
ただ、その強い執着のエネルギーを、嫉みではなく『自分を磨く時間』へとポジティブに変換するのは、一人ではなかなかコントロールが難しいですよね。こうして対話を通して外在化することで気づけることも多いですが、Fさんはその『どうしても諦めきれなかった葛藤の時期』に、どうやってご自身の感情をコントロールし、自分と向き合い続けてこられたのでしょうか?

F
私も手放すことについては近い考えをもっています。それが年を重ねるということだと、今は考えています。

手放せない時期は、目指したい姿を描き続けていました。次々と環境の制限が生じたとしても、目標とする言葉を毎日持ち歩き、数えきれないほど読み直しています。そして、手放せないこと・諦めないことで生じる自分の中の様々な感情も歓迎して受け入れる姿勢を作ってきました。行動としては日記を書いて、時々読み返すようにしています。内省と記録は習慣になっていますね。

手放したことや諦めたことを友人や後輩が達成することが日常的だったのですが、なぜか私は近況報告の連絡をいただくことが多く、いろいろな話を聴いてきているのです。それまでの道のりがあっての成功です。素直に「すごいね、おめでとう!」と伝えられていました。自分の事のように、いつも誇らしい。なので、嫉まず・捻くれず居られたというのは、周りに恵まれていたことに尽きると思います。

M
Fさんのお話を伺って、非常に共感しました。

ふと思い出したのですが、『諦める』という言葉の語源には『明らかに見る』という意味があるそうです。私たちは生きる中で、常に何かを明らかに見極め、諦めながら進んでいますよね。結婚相手を一人に決めれば他の人たちを諦め、一つの職業を選べば他の選択肢を諦める。何かを選ぶということは、別の何かを諦めることと表裏一体なのだと思います。

そのように考えると、他者と自分を比較すること自体が本末転倒に思えてきます。Fさんがご友人を素直に祝福できるのと同じように、私も周囲の素晴らしい成果に対しては自然と賞賛の言葉が出てきます。他者比較をベースにした執着は、手放すべき無駄なものなのでしょうね。

しかし、自分の本心が求めるものや、コアにある価値観への執着は、決して手放してはいけない大事なエネルギーだと思います。そのためにも、一体自分自身がどのような価値観を持っているのかを、定期的に確認していく作業が必要なのかもしれません。
ご自身の内なる価値観を「明らかに見る」ことについて、Fさんはどのようにお考えでしょうか?

F
私の場合は価値観が漠然としていたこともあり、自分が選んだことの責任を引き受け、まずは目の前のことを一生懸命やることが第一だと考えてきました。与えられた環境で生活や雇用が守られ、働き続けられることは当たり前のことではありません。片方の自分のやりたかったことはひとまず手放し、その時々で必要と思えることを必死にやりました。
選ばなかった、諦めきれないことは、自分の人生における学びだという意味づけをしました。苦しいときも、痛みを伴うときもあり、常に「本当にこれでいいのか?」と問いかけられているようでした。

ただ不思議と、選んだ方の人生を必死に進めていくと、選ばなかった方がより鮮明に輪郭をおびていく感覚、まさに「明らかに見る」ように見えてくるようでした。たった一つでも、自分で決めたことをしっかりやると、エネルギーや能力からコンディションとキャパシティの限界点がわかってきますので、判断力がつきます。選んだことが自分に向いているかいないか、挑戦して成功するかどうかよりも、私は、何か一つ選び、取り組み続けて自分を知る経験に価値があったように思っています。

そうすると、だんだん手放して諦めたことにも触れられるようになってきました。自分の力量と限界を知っているためです。この程度なら今の状況でもやれるだろうとか、このやり方に変えたら少しできるだろうとか、そのような判断と行動がとれるようになりました。一度手放したものがちゃんと形になっていて、小さく、でも確かな手応えを持って、一つずつ自分の手に戻ってきていると感じます。

M
なるほど。目の前のことに必死に取り組んで自分のキャパシティを知ることで、結果的に選ばなかった道や自分の価値観が明らかになる。まさにその通りですね。

お話を伺っていて気づいたのですが、最終的に自分の中に残っているものって、結局は自分が楽しんでいるものや好きなものなんですよね。自分が楽しめないものはなかなか習慣化しませんし、生活の中の行動として残っていきません。

例えば私の場合、掃除や整理整頓、洗濯などがもともと好きなんです。今の時代、ロボット掃除機や全自動で時短することもできますが、わざわざそうしたいとは思わないんですよね。時短して浮いた時間でやりたい、これ以上に好きなことって何だろう?と考えてしまうくらいで。
このあえて手放さないことにこそ、自分の価値観が詰まっているのだと思います。1日の行動を記録してみると、その積み重ねが自分の人生を形作っていることがよくわかります。

そう考えると、色々なことを試して、気持ちの良いものだけを残してきた結果が今の自分なんですよね。たくさんのことを手放すことで、自分の価値観を明らかにしてきたとも言えます。年齢を重ねるごとに厳選されたものが残っていくのでしょうし、体力やエネルギーの変化によって春には頑張れたけれど、秋には手放すといったグラデーションもあるのだと思います。

手放すというテーマは本当に深いです。決してネガティブなことではなく、自分をクリアにしていくための素晴らしいプロセスなんだなと、今改めて感じています。

F
自分が楽しんでいること、好きなことが残ることに納得しました。Mさんも私も、ある程度歳を重ねてきているからこそ、手放すことの大切さをもてているかなとも感じます。何事も経験を恐れず、大事なことはちゃんと残ると信じて選んだり手放したりしてほしいと思います。
今回は“手放す”をテーマにお届けしました。何かみなさんの役に立つことがありましたら幸いです。