FとMのダイアローグ20
M
今回のテーマは、『正義』について対話していきます。
私は正義って厄介な側面を持っていると感じています。「自分が正しい」という思い込みがベースにあるため、どうしても対立を生みやすくなりますし、それを押し付けられたときの息苦しさや、議論が全く噛み合わなくなるもどかしさを何度か経験しています。
Fさんは正義について、どのようにお考えでしょうか。自由にお考えをお聞かせください。
F
同感です。大人になるにつれて、正義が対立しやすくなるように見ています。個人の経験や立場、所属しているコミュニティや組織の理念が絡み合って「正義」と迫ってくるためです。これが正直なところ私にはどうしても理解しがたい部分でもあり、特定の組織だけに属したくない理由でもあります。
正義とは、人として正しい行いや意味を指しますよね。これは本来であれば、個人によって大きくちがうものではないはずです。学校教育で教わる正義は「公平・公正」「規則やルールの尊重」「他者への思いやり」「筋道立てた判断」だそうです。これらを決まりとして守らなければというよりも、私たちが向き合い考え続ける姿勢を手放さない、そういうことが正義の根本なのではないかと考えて生きてきています。
M
では、今回はどうやって正義を社会に生かすかについて一緒に考えていきましょう。まず前提として、正義が生まれる場面を考えてみましょう。
私が真っ先に思いつくのはルール違反の正義ですね。ちょっと前になりますが、マスク警察などはまさにルール違反の正義が行きすぎた状況かと思います。誰かの不当な行いに対して「許せない」という怒りや応報的な感情から生じることが多く、それゆえに過激化しやすい厄介さがありますね。Fさんが思いつく、正義が生まれる場面はどんな時でしょうか?
F
そうですね。私が思いつく場面は「守るものがあるとき」です。自尊心やプライドなど自分自身のときもあれば、会社・組織、友人・家族、地域や文化・伝統のこともあると思います。正義をもって正当化する、正しいという理由探しが始まってしまう。これは仕事上で何度も経験しました。科学的・経験的にも法律的にも明らかに誤っている論理なのに「組織の正義」と言って非合理的な意見を通そうとする。
この事象が私は常々不思議だったのですが、どうしてかなと考え抜いた先の結論が「守りたい」という感情からきているのではないかと推測しました。そう思うと現象に理解を寄せられたのですね。私自身も大切な人を守りたいとき、自分の意見を正当化しようとしますから。そこに気づいてからは、感情と正義を混同して考えないよう分けるように意識しています。
具体的な手法として一つ目は、物事を反対からみていくことです。“もしも、この考えが正義でなかったらどうか?”とか、“ちがう立場や弱い立場の人も、この意見を正義として届けられるかな?”などのように検証していくのです。
地位や権力、多数派意見として「正義」が迫ってくればくるほど、一度立ち止まって疑ってみる姿勢をもつように意識しています。冷静に観察し、自分の頭で考えて調べ上げ、信頼できる仲間に意見を求めたりして、もし間違っていると判断したらその姿勢で行動するようにしています。
二つ目は、“守りたい”という感情の部分には共感を示し、それを言語化して相手に伝えることです。年長者の場合、これまでのご経験を尊重するような理解と伝え方になります。
M
これまでの対話を通じて、過去の経験で起きていたことが繋がり、非常にスッキリと腑に落ちました。
もう一つ思い当たるのは、「限られた資源を、誰に、どうやって分配するか」という場面で立ち現れる正義です。国の予算審議などを思い浮かべると分かりやすいかもしれません。誰を救うべきか、何に投資すべきかで意見が激しく対立しますが、その背景には必ず、各々が「どうしても守りたいもの」が存在しています。
つまり、「正義とは、何かを守るために発動するもの」なのだと気づきました。正義の裏側には、価値観、人、権利、プライド、あるいは自分の居場所など、その人が絶対に譲れないものが隠れている。だからこそ、正義はあれほどまでに頑なになり、熱を帯びるのですね。
そうなると、やはり対立した場合は建設的な対話はとても有効な手段になりますよね。相手を受け入れながら、こちらの意見も伝えていくプロセスはFさんがおっしゃるように、相手を尊重する態度は必要だと感じました。
F
わかりやすくまとめていただいて有難いです。決定権や選択権をもっている立場の方々のお話の中には、“価値観、人、権利、プライド、あるいは自分の居場所など、その人が絶対に譲れないものが隠れている”ことについての葛藤が必ずあるように気づきました。
視座が高い方ほど、そのあたりの葛藤を抱え、また、葛藤を置いておける強さがあるように思い返しています。心の中に、置いておくスペースをちゃんととってある、というようなイメージですね。Mさんのいう“余白”に近いのでしょうか。
正義をめぐっての対立で、建設的な対話が有効な手段であることにも同意です。正義を考えながら選ぶものと捨てるものを決めていく意思決定のプロセスが、世の中が平和になるためには大切だと思います。結果を勝ち取るために対話を省略してはいけないと思います。かといって限られた時間や期間もありますので、難しいことでもありますね。
M
確かにおっしゃる通りです。表面的な「正義」の裏には、それぞれの個人や組織が抱える切実な事情が隠れており、最初から建設的に物事を進めるのが困難な状況も少なくありません。
今回の対話を通して、なぜ縦割り組織がこれほどまでに変われないのか、その本質的な理由を痛感しました。
小手先の改善ではなく、そもそものビジョンを共有し直すところから始めなければ、現状を打破することはできません。良かれと思って作り上げた「効率的な組織」というシステムそのものが、今はかえって変化を阻む足枷になっているのだと思います。
F
現代に生きる私たちは、効率性やシステム化を重視するあまり、対話のプロセスを省略していないかどうかをふりかえってみる必要がありそうですね。
今回の「正義」の対話を通して、人が正義を訴えるとき、まずはその裏にある背景をみていく姿勢が大切になることを学びました。
それぞれの感情や事情が混ざり合い正義が対立することは日常でも世界規模でも起こっていることですが、解決の糸口は「建設的な対話」にあるという答えになりました。
ビジョンの共有からはじめる建設的な対話があるとき、本来の「正義」は私たちを照らし一つにまとめてくれる存在でもあるように思います。あなたが「正義」に息苦しくなったとき、何かヒントになることがありましたら幸いです。
ダイアローグ<対話>とは?
ダイアローグとは、単なる情報交換を超え、参加者同士が相手の意見や考えを深く理解し、共感を深めながら、新たな視点や行動の変化を生み出す「対話」を意味します。
組織では、相手と自分との間に「相互理解」と「共通の理解」を築くためのコミュニケーション手法として用いられ、信頼関係の構築や創造性の育成、組織力の向上に繋がります。
組織をマネジメントする立場にある人にとっては欠かせないスキルです。ただ、センスで乗り切っている人が多いと感じる印象もあるので、具体的な対話で学べるように表現してあります。
