「誰かが見てる」

悪いことをする 誰か見てるような気がする

誰が見てるの? 自分が見てる

嘘をつく 誰かは知っているような気がする 

誰が知ってるの? 自分が知っている

良いことをする

誰かが褒めているような気がする

誰が褒めているの? 自分が褒めてくれる

誰も信じてくれない 

誰かはきっと信じてる

誰? それは自分

自分は見てる 

自分には嘘はつけない 

自分は褒めている 

自分は信じてる

そう いつだってたよりになるのは 

結局“自分”

最後は“自分”

悪いことをすると“悲しい、悲しい”って言っている

良いことをすると“ありがとう、ありがとう”って言ってくれる

自分のために 良いことをしよう

そうすればきっと

“自分以外の人”のためにもなる

1999.12.30(F)

小学生のときに書いた詩を読み返してみて、新鮮な驚きを感じました。

そこに書かれていたのは、「人からどう見られるか」ではなく、誰も見ていなくても、自分は自分を見ているという観察者の感覚だったからです。

> 悪いことをする 誰か見てるような気がする

> 誰が見てるの? 自分が見てる

> 嘘をつく 誰かは知っているような気がする

> 誰が知ってるの? 自分が知っている

> 良いことをする

> 誰かが褒めているような気がする

> 誰が褒めているの? 自分が褒めてくれる

子どもの私は、誰かから見られているから正しく生きるのではなく、自分自身が、自分の行動を知っていると考えていた。

そして、もしも、例え誰にも認めてもらえないときがあったとしても、

> 誰も信じてくれない

> 誰かはきっと信じてる

> それは自分

と書いています。

この詩は、単なる自己肯定とは少し違うように思います。

自分の行動を見ている自分。

自分の嘘を知っている自分。

自分の頑張りを認める自分。

そして、誰にも信じてもらえないときにも、自分だけは自分を信じることのできる存在。

つまり、子どもの私は、かなり早い段階から、「自分の人生を最後に引き受けるのは自分なのだ」ということを感じていたのかもしれません。

「人からどう評価されるか」から少し離れて“見る”こと

大人になると、私たちはどうしても他者からの評価を気にするようになります。

仕事では、上司や同僚からどう評価されるか。

キャリアでは、どんな肩書きを持っているか。

何を成し遂げたか。

どれくらい収入があるか。

周囲から見て「成功している」と思われるか。

もちろん、社会の中で生きていく以上、他者からの評価は無視できません。

けれど、それだけを基準にしていると、いつの間にか「自分は本当はどうしたいのか」が分からなくなってしまう。

キャリアについて考えるときも同じだと思います。

「この仕事を続けたほうが評価される」

「この肩書きがあったほうがいい」

「普通はこのくらい働くものだ」

「せっかくここまで来たのだから、もっと上を目指すべきだ」

そんな「外側の物差し」に囲まれていると、自分の人生なのに、自分以外の誰かが決めた基準で進んでしまうことがあります。

そんなときに思い出したいのが、子どもの頃の私が書いた、

「最後は自分」

という言葉です。

キャリアは「何を得るか」だけではなく、「どう生きたいか」

キャリアというと、昇進や収入、専門性、肩書きなど、「何を手に入れるか」という側面から考えがちです。

けれど、本当に大切なのは、そこでどんな自分でいたいのかなのかもしれません。

どんな働き方なら、自分を嫌いにならずにいられるのか。

どんな仕事なら、「今日の自分はよくやった」と自分に言えるのか。

何を諦め、何を守り、何に時間を使うのか。

他人から見れば遠回りに見える選択でも、自分にとって納得できるものなら、それは決して失敗ではないと思うのです。

反対に、周囲から「順調」と言われるキャリアでも、自分自身がそこに納得していなければ、どこかで苦しくなる。

だから私は、キャリアを考えるとき、

「人からどう見えるか」だけではなく、「自分はその選択をした自分をどう思うか」

という視点も大切にしたいと思います。

この詩の最後には、こんな言葉があります。

> 自分のために 良いことをしよう

> そうすればきっと“自分以外の人”のためにもなる

「人のために頑張ろう」ではなく、「自分のために良いことをしよう」

と書いています。

そして、その結果として「自分以外の人」のためにもなる、と結びます。

これは、今になって考えても、とても大切なことだと思うのです。

自分を犠牲にし続けることと、人のために働くことは、同じではありません。

自分の心身を大切にすること。

自分が納得できる仕事をすること。

自分の人生を大切にすること。

それによって、自分に余裕が生まれ、その結果として誰かに優しくできたり、誰かの力になれたりします。

自分を大切にすることは、必ずしも「自分勝手」ではありません。

むしろ、自分自身との関係が安定しているからこそ、他者との関係もよりよいものにできるのだと思います。

あの頃の自分から、今の自分へ

子どもの頃の私は、将来どんな仕事をするのかも、どんな人生を歩むのかも想像がつきませんでした。

それでも、

「自分は見ている」

「自分には嘘はつけない」

「自分は褒めている」

「自分は信じている」

と書いています。

人生の途中では、周囲の期待や評価に迷ったり、自分の選択がこれでよかったのかと考えたりすることもあります。

けれど、最後に「この人生をどう生きたか」を知っているのは、自分自身。

誰かに褒めてもらうためだけではなく、

自分が自分に「よくやった」と言える人生を選ぶ。

誰かに認めてもらうためだけではなく、

自分自身が「この選択でよかった」と思える道を選ぶ。

そう考えると、キャリアとは、単に職業を選ぶことではなく、自分との関係をどうつくりながら生きていくかということなのかもしれません。

子どもの頃の私が最後に書いた言葉。

> そう いつだって頼りになるのは

> 結局“自分”

> 最後は“自分”

これは、自立のスタート地点に立とうとする当時の私が、自分自身に宣言するような言葉だったような気がします。

今の私があなたに伝えたいこと、

「人に頼っていい。」

「助けてもらっていい。」

「誰かと一緒に歩いていい。」

それでも、人生の選択を最後に引き受けるのは、自分。

だからこそ、

“自分のために、良いことをしよう。”と結びたい。

今日あなたが行った“良いこと”は、きっと、自分以外の人の幸せにも繋がります。(F)