『あわい』

青と白が溶け合って

渚に消える遠い足音

たゆたう孤独は

岩礁の修験者

砂の海と空が混じり合い

帰依する山へ還りゆく

(F)

『宇宙がなぜ、無ではなく有であるのか』
その答えは、引力による動きが発生して相互依存関係にあるからではないかと思っています。

宇宙は単に物質があるだけではなく、物と物が関係をもち、集まり、星になり、銀河になり、命になっていく。その結びつきの中心に、重力があります。
引力がなければ原子は散らばってしまいます。宇宙は構造をもてない薄い拡散状態のままだった可能性があります。


宇宙誕生直後の<わずかな揺らぎ>を起源として、重力によって原子が少しずつ集まり、現在の宇宙構造となったそうです。重力の定量があるために、宇宙(世界)には秩序があり、規則性が生まれます。天文学と数学の関係も有名です。
私はこの、<わずかな揺らぎ>は、運動であると捉えています。

<存在(有)>はものが集まり続ける力(運動)をもった瞬間に始まったならば、そのかすかな動きが命の源であり、動くことで引き寄せの運動が生まれて関係性を作り、構造、ネットワークとなったのではないか。

重力と他の引力との関係性はこれから探りたいテーマです。命の源が運動であって引力により命ができているならば、その命もエネルギーを発していて引力をもつことは自然だと考えているためです。

つまり、私の仮説はこのようになります。
引き合う⇒関係性が生まれる⇒孤立した原子が結びつく⇒構造・生命になる

これが人間の共同体においても同様なのではないか、と考えています。

万物は関係性の中で存在するということ。
原子が結びついて分子になり、細胞は集まって生命になります。
人は共同体を作り、共有したいという欲求から言葉や文化が生み出されます。
命は永遠に関りをもち、関りをもつことによって、存在し得るということが私の考えの根底です。

ここでいう関わる・繋がることとは、同一化や支配ではありません。

違うままに完全には分かり合えなくてもわかり合いたいと希求することを指します。

キリスト神における愛や、仏教での慈悲・縁起も、宇宙から見出した世界の成り立ちを人々に共有するために、言葉を添えていったのではないかと考えています。

世界(個体)が運動しているのは引力があるから、重力も引力の一つです。
西洋哲学的思考では個が重視されますが、発達心理学的にみても、まずはじめに親子一体の関係性があったという理論は多数存在します。

つまり私は、存在<有>とは、“引き合い続ける運動”であると考えているのです。

現代が手軽に繋がれるようになったにも関わらず不安と孤立に陥りやすいのは、
このような“引き合い続ける運動”の機会が非常に少なくなっているからではないか
と考えています。
視覚を始めある種の刺激への感受性が鋭くなっている反面、引き合い続ける運動への感受性が弱まっているのではないでしょうか。
これは個人ではなく、環境と社会システムの問題です。

関わりたいという自然な欲求がありながらも、うまく繋がれなければその欲求不満によるフラストレーションはますます高まります。結果として攻撃や回避、拒絶、分断、支配が生じやすい。

でも、思い出してほしいのです。私たちは誰もがみな、エネルギーをもつ存在であることを。

脳科学的には、個体同士が繋がるシステム・ネットワークが重要だと考えています。
多感覚統合・情動調律を伴う身体経験により、個体(脳内)の相互依存ネットワークが完成するのではないかということが、私の仮説です。

世界の根底には分断ではなく、繋がろうとする力があるのではないか。

これが、私が世界を愛する理由です。