面倒なことをしよう
面倒なことをしよう
効率よく、生産性を上げる。最短で、無駄をなくし、成果を出す。速く、正確に、精度を上げる。
私たちは、そんな言葉に囲まれて暮らしています。
とてもインスタントで、便利な時代。時間も節約できるようになり、昔なら何時間もかかったことが、ほんの数分でできることもあります。
効率化できることは、どんどん効率化していいと思います。
ただ、ときどき思うのです。
効率化してはいけないものまで、効率化しようとしていないだろうかと。
たとえば、人との関係。相手と会ってゆっくりと話し合うことは、効率が悪い。目的に対し、それぞれの意見をあげて、答えを出してしまえば速い。
話を聞くときも、「つまり、こういうことでしょ」とまとめてしまえば、時間はかからない。
でも、本当に大切なのは、人と人とが関わり合うことで生まれる気づき、言葉になるまでのプロセスを共にした時間、なのではないでしょうか。
信頼を育むことには、時間や手間が必要とされます。愛することも、おそらく同じです。愛は、効率よく提供できるサービスではないためです。
誰かのために時間を使うこと。
何度も話を聞くこと。
すぐには答えが出ないことを一緒に考えること。
相手のペースを待つこと。
自分にとっては面倒なことを引き受けること。
だから、愛にはどうしても「非効率」が含まれるのです。
季節を感じながら暮らし、土に触れ、庭を眺め、遠回りして目的なく歩く。空を見上げ、今日しかない青から夕焼け色への移り変わりを目に残す。
それらは、何かの成果を生み出すために必要な時間ではありません。
でも、そういう時間が私たちを人間らしい生き方に戻してくれることがあるように思うのです。
私は、効率化そのものを否定したいわけではありません。むしろ、効率化できるものは、どんどん効率化していいと思います。家事も、事務作業も、情報収集も、仕事の手順も。便利な道具や技術に頼っていいのです。
そうして生まれた時間を、もっと効率化できないものに使えばいい。
誰かと話す時間。
大切な人を待っている時間。
自分の身体を休ませる時間。
自然を見る時間。
何かをつくる時間。
人間には、効率化できないものがある。
というより、
効率化しないほうがいいものがある。
それは、人を理解すること。
悩み、迷うこと。
信頼を育むこと。
誰かを愛すること。
自分の人生について考えること。
遠回りもする。失敗もする。うんざりするほどに面倒なことが、山ほどある。
でも、その面倒を全部なくしてしまったら、私たちはいったい何のために生きているのでしょう。
「早く終わらせること」だけが目的になったら、
浮いた時間を、また別のことに使って、さらに効率を求めるようになるかもしれません。
だから、ときには立ち止まって、あえて面倒なことをしてみましょう。何の役に立つかわからないことをやってみましょう。いつもなら無駄に思うような時間を、存分に味わってみましょう。
人間にしかできない「面倒」を、大切に生きる。
人間にしかできない面倒とは、もしかすると愛することそのものなのかもしれません。
効率よく生きるためではなく、大切に生きるために。たまには、面倒なことをしてみましょう。
皆様がそれぞれに、よい連休を過ごせますように。(F)
